CD制作を巡るなんたらかんたらPart1
第1話
〜 はじめに・・・〜
CDの納品日、わくわくしながら帰宅すると、目に飛び込んできた大量の箱に『やっとできたなー』という思いより、『この量をどうやって捌(さば)こうか?』という少々現実的な思いが先にたってしまった。しかし箱を開けると『Drifting Boots And Go Boating / USK』とタイトルされたCDケースが整然と並んでいて、それは壮観な光景だったので、見た瞬間に気分はすっかり良くなった。
100枚入りの箱からどれも同じなのに選んで1枚抜き出し、キャラメル包装を剥く時、ブックレットをCDケースから出す時、CDをケースから取り出す時、それぞれの動きは他の人のCDを聴くときとは明らかに違う仕草である。うれしい!素直に。このCD制作に携わってくれた皆さん、ほんとにありがとう!やっと完成しました!!
しかしながら1枚のアルバムに何でこれだけの時間が費やされてしまったのだろう?あまりに長過ぎて記憶から抜けていく出来事もちらほら出てきそうだ。だからって訳じゃないけど、これから何回かに渉ってCD制作を巡るなんたらかんたらを記そうと思います。
第1話 ー CD制作することになったきっかけとか・・・ ー(1年目/8年)
思えば随分と長くかかったなあ・・・ 。当然というか、率直にそう思います、9年ですから。
10代から続けていた音楽活動は30歳を境に休止してからあっという間に5年。日々とはそんなものなんでしょう。日常に忙殺され、気がつけば時間なんてあっという間に過ぎていってしまう。
そんな時「もう一度やった方がいい」と古くからの音楽仲間である鶴岡に活動を再開するよう促された。これに対して自分は『もし次にやるとしたら、バンドを結成してライブ活動をするというスタイルではなく、自分の曲を形に残して、納得するまでレコーディングをやってみたい。』と、それまで漠然と考えていた思いを話した。そしてもうひとつ重要なこと。再開するにあたっての条件のようなもの。それは『再活動するに当たっては音楽的知識・技術が豊富な人と創り上げたい。』ということ。となれば自分が知っている中ではジョージ(仮名)しかいない。そう結論を付けた。しかし、ジョージ(仮名)とは20代にスタジオ・アフタービートを通じて知り合ってから、バンドのレコーディングではエンジニアとして関わってくれていたけど、それも5年前までの話。活動休止してから5年間はまったく会っていないし、第一、今どこで何をしているのかもわからなかった。「『やれる状況じゃない』とか『曲が趣味じゃない』とか断られたら・・・」「まあそれはそれとして、まず曲作りをしてからだね。」みたいな話でその場は終わったと思う。
こんなことがあって、じゃあやってみるかと5年振りに鍵盤を叩いたその時が1997年の夏。まだ下の子がかみさんのお腹の中にいる頃、今は小学3年生です。
- つづく -





